母の闘病記録 その③

  治まっていた腹水が再発。祈る思いでイミフィンジ開始。

こんにちは、とあるミドルエイジです。

前回に引き続き、今回も母の闘病記録を備忘録のようなかたちで書いていきたいと思います。

母の病気がわかってから現在に至るまで、ずっと書き記してきたノートのメモやLINE記録、記憶を辿って書いています。

母の病状やその時の家族の状況・心情などありのままに綴っていますが、もしかしたらどなたかのお役に立てるような情報があるかもしない。

今はまだ小さい私の子供達が大きくなった時に、たまたまこのブログを目にして、あの時おばあちゃんはこんな病気だったんだな、ママはこんな状況だったんだな・・・なんて思い返してくれたらそれもいいなと。

そんな思いで書いています。


<ここで出てくるワード>

  • 退院調整看護師
  • 在宅医療
  • 余命
  • 腫瘍熱
  • ヘモグロビン

<10/6>

この日、母は午前中に父と2人で買い物へ。クリスマスケーキとおせちを予約してきてくれた。

おせちに関しては、今年はもう無理はしないでおこうということで外注。簡単なものは私と母とで作ることに。母は昔からイベント事をしっかりやるタイプなので、初のおせち注文には複雑な思いのようだった。今年は仕方ないから、元気になったらまた来年作ろうということで納得。

この日の私の日記には、どうにかどうにか、5人で楽しくクリスマスもお正月もお祝いすることができますように!!!と書いてある。

体重がここ4日間で、42・5㎏→45.0㎏に一気に増えた。

腹水かもしれない。嫌な予感がしていた。

この日、私は子供達とお散歩がてら近所の神社へ。

内容はまだよく理解していないけれど、おばあちゃんが何か大変な病気になってしまったことはよくわかっている3年生と1年生。

一生懸命にお参りしてくれていた。ありがとう。

<10/7>

母、昨夜に微熱がでた様子。この日から、定期的に微熱を出すように。

癌性の腫瘍熱と言われるものらしく、とくに肝臓は大きな臓器で、中が空洞ではなくぎっしりと詰まった臓器なので、食道や胃などに比べると腫瘍熱がこもりやすくなるらしい。

休んでいるうちに段々と平熱に戻ってきて、朝には調子が良かったということで午前中のうちに私と2人で車で買い物へ。

母がステージ4の末期ガンだとわかってから、日常の何気ない時間も貴重なものに感じる。

2世帯住宅で一緒に暮らしていて良かったと、何度も何度も思った。

腫瘍熱とは?

悪性腫瘍が原因で起こる発熱のこと。

感染症などの疑いがなく、37.8度以上の微熱が続く。その後治まり、再び発熱を繰り返す間欠熱という特徴がある。悪性リンパ腫や急性白血病、腎細胞がん、肝細胞癌、副腎がん、骨肉腫などによく見られる。その他のがんでも転移が多い場合に腫瘍熱を伴うことがある。

10/11

前日から腹部に明らかな張り。私は腹水だろうと感じていた。

この日は両親と3人で車で大学病院へ。

初めに採血・採尿。いつものように診察まで約1時間待ってから、ようやく呼ばれた。

血液検査の結果、ヘモグロビンの数値が下がっているので、疲れやすさや貧血のような症状が出ているのではないかと紳士先生からの説明。お腹を診てもらうと、これは腹水だろうとの事だった。

久しぶりに今日からまた利尿剤を飲むことに。けれど強い薬は肝臓に負担がかかるので、あまり飲めない。

肝心要(かんじんかなめ)」とは昔からよく言ったもので、肝臓は様々な毒素やアルコールの類などを分解してくれる臓器なので、ここがやられてしまうと使える薬にも制限がかかる。

(*肝心要とも、肝要とも言う。)

腹水が徐々に引いてくれることを祈るしかなかった。

ヘモグロビンの数値が下がるとどうなる?

ヘモグロビンは酸素とくっつくことで、酸素を体のすみずみまで運ぶ重要な役割を果たしている。ヘモグロビン値が下がり貧血になると、立ちくらみ息切れめまいふらつき疲労感動悸胸の痛み頭痛などの症状を引き起こす。

正常値は、女性で11・3~15.2(g/dL)

ちなみに、母のこの日のヘモグロビン数値は10・5(g/dL)だった。母も疲れやすさをすごく感じていて、腹水の重みも相まって病院内を歩くだけでも疲れていた。2か月前に、伊東の海で素潜りしてたときとは比較できない。病気の怖さを感じた。

この日は、紳士先生から再度しっかりとイミフィンジ免疫チェックポイント阻害薬)の副作用などの説明をうけ、トライしてみるかどうするかの意思確認、署名などがあり、そのまま午後から化学療法室にて1時間半の点滴での投与となった。

リクライニングソファーで、備え付けのテレビを観たりスマホで動画や音楽を聴いたりと、皆さんそれぞれに過ごしているような感じだった。

投与後の母は、とくに変わった様子もなく吐き気やだるさもないとの事。とりえずホッとした。

それとこの日は、イミフィンジ投与のあとに緩和ケアの話し合いもあった。

担当してくださったのは、退院調整看護師さんと呼ばれる方で、院内だけではなく他の医療機関や関係機関と連携して、患者さんの退院後の生活を見据えてサポート・調整してくださる方とのこと。

個室で私と両親、看護師さんとの4人での相談となった。私は色々と聞いて今後の在宅医療の準備を徐々にしていきたがったが、母は違っていた。

母の気持ちになれば無理もない。たった1ヶ月前に突然ステージ4の肝臓ガンだと知らされ、あれよあれよと病状が進み緩和ケアの話にまでなっている。やっと1回目の投与が終わったばかりなのに、いきなり緩和ケアと言われても頭が追い付いていかないはず。

個室で母はあまり口を開くこともなく、気持ちも沈んでいるようだったのでこの日はとりあえずいくつかのパンフレットをもらい相談を終えた。

帰りの車の中では3人で笑った。母は、自分が死ぬときには父を道連れにしたいと言う。

母と父とは年の差があり、父はそれなりに高齢なので残していくと娘の私が後々大変な思いをすると。

私と子供達だけの3人での生活のほうが私が自由でいられるからとか、なぜ自分のほうが先で、野菜嫌いで偏食な父のほうが長生きするのかとか、この後ものんびりと生きていく父に腹が立つだとか、とにかく父への不満をユーモア交じりに好き放題言い放っていたが、普段から私と両親は冗談を言い合いながら笑いが絶えない家族なので、そんなセンシティブな内容の会話でも笑いにあふれた。

この日の私の日記には、”どんな事でもいい。治療へのモチベーションになって欲しい”と書いてある。

本当にそんな思いだった。

この日、体重が48・0㎏に。腹水がかなり溜まっているのかもしれない。

10/12

母、早起きをしてきちんと利尿剤を飲もうと塩分少なめの朝食を食べていた。

完治は無理だとしても・・・。少しでも長く、今のように話せて笑えて歩けて食事を楽しんで、おしゃれやお出かけも出来るような日がもっと長く続いて欲しい。神様お願いします。

*このあたりから現在に至るまで、私の日記には”神様お願いします”が度々登場する。特に信仰心があるわけでもないのに、見えない何かに祈るような気持ち。大切な家族が病気になると、皆同じような気持ちになるのかな。

前日にも増して、腹水が溜まっているように感じる。

10/14

車でみんなで近場へお買い物。母、終始つらそう。

今日も腹水は減っていなくて、昨夜は足の浮腫みも酷かった様子。

父がずっとマッサージをしてあげていた。私はどうしても子供達の食事やお風呂や学校の準備などに追われ、夜は母のそばにずっといることは出来ない。それでも母が病気になった後は、現在にいたるまで母と一緒に過ごす時間はものすごく増えた。2世帯住宅で一緒に住んでいるから両親といつも一緒のような気になっていたけれど、実際にはほぼ別世帯のようなかたちなので、忙しい平日だと1日の中で両親と顔を合わせるのはトータル5分もないような日も多かった。

母が病気になってからは、私が仕事をセーブしているのもありなるべく一緒に過ごすようにしている。できる限りのことをしてあげたい。

この日、母は余命のことについて聞いてきた。

紳士先生と私が2人だけでお話するタイミングがあったので、そのときに余命の話はあったのか?と。

何も聞いていないと答えたが、実際にはすでに聞かされていた。

けれどそれは何も治療しなかった場合、もしくは治療しても全く効果がなかった時の場合という意味で先生は仰ってくれていて。とは言え、一番初めに「延命」と言われていることと、治療しなかった場合のおおよその余命を聞いて、どちらにしてもそう長くないことは予想できた。

私が聞いていないのなら、次回診察の際に自分で聞いてみるという母。気持ちはとてもわかる。

強がりだけどすごく怖がりの母がそれを聞いてしまうのは、今後の治療や生活へのモチベーションが保てなくなるのではないかなと私は思い、父も同じ考えだった。

聞いていい人とダメな人がいる。母に関しては、ダメな気がした。

余命はあまり当てにならないよ?聞いても意味ないかもしれないから、それを聞いて色々なことを考え込んでしまうよりも、とにかく今はまず治療をがんばりながら美味しい物たくさん食べて旅行にも行こう!と明るく言ったら、母もそうだね、治療を頑張る!と。

とても胸が痛かった。

10/15

朝早くに両親が目覚めていたようなので、気になって私も両親エリアへ。

昨日よりも腹水が少し減ったようにも感じるが、それでもまだまだ膨らんでいる。

薬を追加で服用しても良いか確認したく、大学病院へ電話。今日は担当の紳士先生がいないので追加服用についてはわからない、必要であれば予約外で外来を受診してくださいとのこと。

予約していてもいつも1~2時間待ちなのに、予約外での受診なんて母がつらいだろうと思いこのまま様子見に。腹水は本当に、見ているだけでもつらそう。

10/2の退院時は、術前後の絶食期間もあったので体重が42・5㎏だった。

その数日後から徐々に腹水が溜まり始め、本日10/15は48・0㎏。

病気がわかる前の母の体重は、長年に渡り49・0~50.0㎏を行ったり来たり。

1~2㎏は本来の体重が戻っていたとしても、単純に4㎏近くの腹水が溜まっているのではと思われた。動くのも寝返りもしんどそう。早く引いてくれることを願うしかなかった。

今日は、母の希望でお昼に「和食のさと」へ。

美味しいと言って食べていた。いつまでもこんな日常が続きますように!!


母の闘病記録 その③はここまでとします。

2025・6月の今現在、母の体調が悪化してきているのでなるべく早くここまでの記録を書き終えてしまいたい。母に最期の時が来たら・・・。しばらくブログに触れることも出来なくなってしまいそう。

ずっと仲良し母娘で、私の一番の良き理解者であり無条件で私を応援してくれる心強い存在。

私は一人っ子で、理解し合える兄妹もいないので、どうやって立ち直ったらいいのだろう?

そんなことばかり考えてしまうけど、母は今日も生きてくれているから、この時間をとにかく大事に大事にしたい。

夜、母も子供達も寝静まったあとや、早くに目覚めた朝、日中のちょっとした隙間時間なんかでこのブログを書いています。これはこれで、頭も心も整理されるみたいでとても良い時間だなと。始めてみて良かった。本職は歯科衛生なので、歯科関係や大好きな美容関連のことも書きたいけれど。それもまた追々と書いていこうかなと思っています☆

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