母の闘病記録 その①

   突然の腹水。最初はただのガス溜まりだと思っていた。

  • 腹水
  • 肝硬変
  • 非代償性肝硬変
  • 肝細胞癌
  • 食道静脈瘤

私と母は、二世帯住宅で一緒に暮らしています。

私と子供2人、父と母の5人暮らし。

それぞれ1階と2階にキッチンや洗面などがあり生活空間が分かれているので、程よい距離感を保ちながらみんなで楽しく暮らしてきました。

そんな中、今から約9ヶ月前の2024年8月のある日。

元気で活発的だった母の日常が一変しました。

この9ヶ月間、私が日課のように書いてきた母の闘病ノートをさかのぼりながら、これまでの経緯を備忘録のようなかたちでここに書き留めたいと思います。


2024.8/4~5

家族みんなで毎年恒例の伊豆旅行。特に何も変わりなく、海水浴では子供達と素潜りなどしてたくさん遊び、その夜のホテルでの食事もよく食べよく飲み、いつも通りの母。

翌日の8/5は、城ケ崎海岸にあるつり橋に行くため結構な距離を歩き、さすがに疲れていた。

<2024.8/10~8/16

私も含めて、何となく家族みんな調子が悪い。風邪か夏バテかコロナか?なんて話しながら、子供達はすぐに回復。この時は私が一番不調だった。

8/17~8/22

体調不良の中、強行突破で私は子供達と3人で予定していた旅行✈へ。この時は母もまだ体調が回復していなくて、倦怠感が強かった様子。母は自宅で養生。

8/22>  

私と子供達が帰宅。 母、お腹がパンパン。

「ねぇ、見てみて~。お腹がこんなことに~」なんて、少し笑いながら他人事な様子。便秘か、ガスが溜まっているような張った感じがするとのことで、父が近所の薬局に行きガスター10を購入。明日にでも病院に行ったほうがいいよと言っても、病院嫌いな母はガスター10を飲んで少し様子を見ると。

8/26

お通じが出てもガスが出てもなかなかお腹の張りが治まらず、原因はよくわからないけどこれはきっと「腹水」だと思うと母に伝え、母のほうもいよいよこれは行くしかないと、近所の内科を受診。

案の定、「腹水」との診断。

利尿剤を処方してもらい、エコーの予約をして帰宅。腹水だなんて、ただ事ではないと嫌な予感はあったが、何か悪い菌でもお腹についたのか?・・・なんて、このときは私も両親もまだ事態を吞み込めていないというか、とにかくエコーで診てもらうまでは何もわからないね。利尿剤しっかり飲もうという感じ。

9/2

処方された利尿剤を飲んでも腹水は全く引いてくれず、お腹が苦しすぎて次回のエコーの予約まで待てないので予約外で直接受診。少し待ったがその場でエコー。

診断結果は「肝硬変」。

CT撮影が必要だが、そこの医院にはCTがないので別医院でのCTの予約を看護師さんが取ってくれた。この日をもって、母の楽しみであったアルコールは終了。お酒は絶対に飲まないで下さいとのこと。

この日から私は、仕事や家事の合間に「肝硬変」「腹水」のキーワードで調べまくる。

非代償性の肝硬変」という、ちょっと恐ろしいワードが続々と出てくる。

自分の母親が、突然ただ事ではない状況に陥ったのではないかと不安になる。

9/5

別医院でのCT撮影の日。造影剤を入れての撮影。母は怖がりで、病院も検査も注射も大嫌いな人。

嫌だな~なんて言いながら、父と二人で出かけて行った。私は仕事がある日だったので出勤。どうか「非代償性」にまで肝硬変が進んでいませんようにと願う。

この日両親が行ったクリニックは、CTやMRI撮影専門のメディカルスキャニングだったので、とくにドクターからの詳しい説明はなく。

次回は、9/13にエコーを撮ってもらった近所の内科で画像診断予定。

9/9

9/13の予約を待たずして、この日の夕方に近所の内科から電話あり。

メディカルスキャニングから画像が届いて確認したが、早急にお話したいことがあるので来院して下さいとの事。私はちょうど子供達と一緒にお風呂に入っていたが、すぐに上がって濡れた髪にすっぴん、帽子にマスク姿で母と医院に向かった。

診断結果は「肝細胞ガン」の疑いあり。

すぐに紹介状を書くから、明日の午前中に取りに来てほしい。それまでにどこの病院を紹介するかをこちらで決めておく。それと、CTを見た限り、「食道静脈瘤」がある。これが万が一破裂すると、大量出血を起こして最悪の場合は死に至るので、くれげれも刺激物や固いもの(お煎餅などの尖ったもの)には気を付けて食事してください・・・とのことで、念のためこの日からノンアルコール(炭酸)も終了。

内科から電話があった時点で、もしかしたら「癌」が見つかったのかもしれないと思っていた。

母と歩いて帰宅しながら、「大丈夫。大丈夫」とか、「まずは大きな病院で診てもらおう」とかそんなことを話しながら、とにかく母を不安にさせないように普段通りにふるまっていた。

9/10

近所の内科に行き、紹介状を頂く。初めから県立のがんセンターに行くか、大学病院にするかで先生が悩んでいた。交通の便なども親身になって考えてくれて、食道静脈瘤もあるからこれにも対応できる病院を・・・とのことで、市内にある大学病院を紹介して頂き、その場で看護師さんが直接電話をして予約を取ってくれた。明後日の9/13に行くことに。

9/12

娘、7歳のお誕生日。この日私は仕事。

母は腹水と倦怠感でしんどいはずなのに、前々から予約注文してあったキャラクターケーキを車で取りに行ってくれた。

私は仕事を早めに切り上げさせてもらい、帰宅して色々と準備。母もすでに何かと準備してくれていた。母に感謝。ありがとう。家族みんなでお祝いできて、娘もとても喜んでいた。

9/13

初めて大学病院に行く日。

私は午前中に用事があったので、両親だけ先に向かって私は途中から合流することに。やはりすごく混雑していて、初診の受付や採血・採尿などで2時間ほど。そこから先生の診察を1時間以上待っていると父から連絡があり、その後私も合流。母は、「採血で7本も血を取られた~」と軽く泣き言。母は注射が大の苦手。

その後順番が来て、私と母のみ診察室へ。話し方も雰囲気も、とても落ち着いた感じの紳士のような男性の先生が担当してくれた。

肝細胞ガンで間違いないとのこと。

カテーテルを使って、直接肝臓に抗がん剤を流す方法で治療が可能かもしれない。

食道静脈瘤の状態を診るために胃カメラが必要だけど、この病院だと予約がいっぱいで2週間近く先まで空いていない。その紳士先生は週に2度、出向のようなかたちで違う医院にいるとのこと。それも、たまたま私たちが住んでいる町のすぐ隣町にある医院とのこと。そちらに電話して早めに予約を取ることに。

帰りに胸部CT撮影をしてこの日は終了。

9/17

胃カメラ撮影のため、紳士先生に紹介して頂いた隣町のクリニックへ。

診察室に入ったら紳士先生が対応してくれた。少しお話して、私は待合室で待機。

胃カメラはまた別の先生が対応。呼ばれて診察室に入ったら、静脈麻酔から覚めて少しぼーっと

している母がいた。

この日はこれで終了。母は胃カメラ検査のため朝から何も食べていなかったので、帰りに父と合流して駅ビルにある大戸屋でランチ。母、腹水はあるがしっかり食べれていたので安心。


闘病記録 その①は、とりあえずここまでにしておきます。

備忘録のようなかたちで書き始めましたが、当時(まだ1年も経っていませんが)を振り返りながら、頭や心の中も整理しつつゆっくり書いています。

やはり、ブログはいいものですね。

こうして自分の思いや言葉にしにくい気持ちも、自分のペースで掘り起こしながら書き出すことによって再確認できたり、消化できたり。

始めてみてよかったと思っています。

では、母の闘病記録 その②に続きます。

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