肝硬変が進行し過ぎて、手術が不可能。胃にも単発ガンあり。
<ここで出てくるワード>
- ステージ4
- 門脈浸潤
- 抗がん剤
- 食道静脈瘤
- 内視鏡的静脈瘤結紮(けっし)術
- 免疫チェックポイント阻害薬
- イミフィンジ
- 延命治療
- 緩和ケア
<2024.9/20>
胃カメラ検査の結果や今後の予定を確認しに、隣町のクリニックへ。この日も紳士先生が対応してくれた。胃に潰瘍があり、2ヶ所から採取して生検に出したとのこと。画像を見せてもらったが、素人でもわかるくらいはっきりと潰瘍が写っていた。
<9/22>
日曜日だったので、母も一緒にみんなで大きなショッピングモールへ。
フードコートで丸亀うどん。お買い物したりゲームセンターでゲームしたりで、子供も大人も少し気分転換。
<9/26>
両親と3人で、私の運転で大学病院へ。母は元々は運転が好きで、日常的によく運転していたが病気がわかってからは現在に至るまで運転を控えている。
この日は色々な検査結果を踏まえて、今後の治療方針を相談する日だった。
紳士先生からは、ステージ4で厳しい状況。すでに門脈への浸潤があり、カテーテルでの抗がん剤治療は出来ない。全身への抗がん剤治療になる。それと食道静脈瘤に緊急性があるので、そちらの処置を先にする。今日このまま入院して内視鏡手術に備えましょう。・・・とのことだった。
急な展開だが、母はそのまま入院して私と父は一度自宅へ。子供たちが学校から帰ってくるので私は身動きが取れず、入院のための物を色々と用意してから父がまた再度病院へ。
母、実に40年以上振りの入院となった。日数は約1週間とのこと。
<内視鏡的静脈瘤結紮術とは?>
食道静脈瘤の治療方法の1つ。内視鏡下で、特殊な結紮器を用いて静脈瘤をゴムバンドで縛り、壊死に陥らせて脱落させる方法。そうすることで、静脈瘤の血流は減少したり途絶えさせることができるため、静脈瘤が破裂して大量出血することを防ぐ。
母の場合は、緊急性がある箇所が3~4か所あるとのこと。肝硬変や肝細胞癌があることで、肝臓に送られるはずの血流が別の場所に送られて静脈瘤が発生しているので、原因となっている肝臓の病気が良くならないと”いたちごっこ”の可能性もあると、主治医の紳士先生からの説明あり。でもとりあえず緊急性があるので、すぐに結紮術をやりましょうとのことだった。
<9/27>
母はこの日の午前中に、食道静脈瘤結紮術での手術だった。
父のみ、午後から電車で大学病院へ。父はそれなりに高齢のため(母と年の差あり)、私達との同居にあたりすでに免許返納済み。
面会はコロナ禍以降色々と制限があり、基本的には15時以降に可能。病室に入れるのは1家族1人のみ。同フロアに他家族も入れるデイルームがあるので、もしも何人かで面会に来たときにはそこで待機とのこと。
午後に麻酔から目覚めた母は、術後の痛みはほとんどなく、喉に多少の違和感があった程度。とりあえずホッとした。
母に必要な物を渡して、父は帰宅。母はこの日は朝から絶食で、もちろん術後の夕食も抜きとのこと。お腹が空いたと夕方私にラインあり。
”うなぎが食べたい”なんて言っていたので、食欲があるなら大丈夫かなと、さらに安心して私も休むことができた。
<母の緊急入院を経験して、1週間の入院でも女性には必要だと感じた物リスト>
- 洗面用具(歯ブラシ・歯磨き粉・取っ手つきコップ・シャンプー・洗顔料など)
- 飲料用の取っ手付きコップ
- 箱ティッシュペーパー
- ウェットティッシュ
- 室内履き(母の場合はスリッパだと歩きにくく、かかとありの物を踏み潰すかたちで履いていた)
- パジャマ用の部屋着(前ボタンで脱ぎやすいものがベスト)
- 髪ゴム&ヘアピン
- 下着類、くつ下、それぞれ数枚ずつ
- カーディガンのような羽織もの
- スマホの充電器
- イヤホン
- 卓上カレンダー(母は基本的にアナログのため)
- メモ帳&ボールペン
- ビニール袋(ゴミや汚れた肌着をまとめたり用)
<9/28>
土曜日だったので、子供達も一緒に4人で午後から面会予定。
この日の朝に、結紮術の執刀をしてくださった先生の回診があり、採血の結果とくに問題はなさそうとの事で、朝食に重湯を食べることができたらしい。お昼は流動食。美味しかったと母からライン。
15時から面会。子供たちは、母を心配しながらも初めての大きな病院&面会に少し興奮。
病室に全員は入れないので、デイルームで待機しながら子供一人ずつと病室へ。その後みんなでデイルームでジュースなど飲み、途中から母も加わり小声でワイワイ。
母が入院していた部屋はたまたま高層階だったので、同じフロアのデイルームから見える景色も気持ち良かった。病院も注射も何もかもが大嫌いな母だけど、景色を見てると気分が紛れるようでそれは良かったなと思った。

<9/30>
母は流動食から三分粥になり、入院後初めてシャワーを浴びることができたりと順調に過ごしていた。私は午後から病院に行き、面会の前に窓口のほうで限度額適用認定証の提出。
母が病気になってから、これまでにたくさんの手続きをしてきた。また追々と書いていきたい。
食事のほうは、徐々に五分粥になり全部粥になった。おかずやプリンなども付き始めて、毎回完食。この日は、退院時に着る服を渡して少し会話してから帰宅。
<10/2>
母、退院。
父と一緒に車で迎えに行き、帰宅。すぐに疲れてしまい、しんどそう。
約一週間の入院で、絶食や流動食のみの日などもあったので、体重が一気に8㎏近く痩せて42.5㎏に。この日から、私の記録ノートに母の体重を小まめに書くようになった。
<10/3>
母、朝から体調が少し良い様子。2人で車で買い物に行った。
父は料理が全くという程できないので、母が入院してからは私が父と子供達の分とで多めに作るようにしていた。母は、台所に立っているだけも疲れてくるので、現在に至るまで夕食は私が全員分をほぼ担当。母の体のことを考えて、子供達があまり好きではない野菜などもチョイス。時々は子供達が大好きなオムライスやクリームシチューなども作るが、両親とも文句も言わずにいつも美味しいと言って食べてくれている。私ができる、ほんの小さな親孝行。
この日は豆腐ステーキ、目玉焼き、玉ねぎとカボチャのフリットを完食。
母がしっかりと食べてくれることが嬉しい。
明日は大学病院の日。いよいよ抗がん剤投与?どうなるのか?
<10/4>
子供達を学校へ送り出した後、両親と3人で車で病院へ。
10時半から採血・採尿。11時からの診察。激込みなので、軽く1時間押し。
生検に出していた胃の検査結果が出て、こちらもやはりガンだった。
肝臓からの転移ガンではなく、単発で出来たものとの事。胃に関しては、今の時点では放置する以外どうしようもないとの事だった。まずは進行している肝臓のガンを少しでも抑えていくことを重視する。
だけど、肝機能の数値が良くないのと、弱っていて全身状態もあまり良くないので強い抗がん剤は使えない。正直、無理に何もしないのも選択の一つ。それでも治療を望むのなら、免疫チェックポイント阻害薬の「イミフィンジ」であれば投与できそう。本来なら2種類を併用して投与するところを、体の負担を考えてイミフィンジ単体で投与する。副作用も少なくて済む。
ただし、これはガンを治すための治療ではなく「延命治療」だと思っていて下さい。との紳士先生からの説明だった。母はただ黙って聞いていた。
紳士先生からは、「緩和ケア」のことも進められた。来週、緩和や在宅・訪問診療のことなどを相談するために”退院調整看護師”さんとの面談予定。
母の闘病記録 その②はここまでにしておきます。
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